日々-18

 

とある7日間の日記。

 

29.-----

じゃがいもを剥く。鍋にじゃがいもとかぶるくらいの水を入れて、もうええやろと思うまでゆでる。水を切って、鍋に戻して水分を飛ばす。火加減は知らん。すぐ焦げそうになるからすんでのところをたのしむ。

そういえば芋茹でてる間に卵を茹でておく。そういえば水菜が残っていて、そのまま入れたいけど火を入れたいので茹でる。なんだかんだする。マヨネーズひょろーっと入れて混ぜる。薄かったらピョロッと足す。食べる。うまい。以上。

 

30.-----

コンビニで半額になっているかわいそうなじゃがいもを買う。半額分浮いたので、カリフラワーを買ってみる。どこまでが芋でどこまでがカリフラワーなのかわからなくなりたいと思う。そうだ、ポテトサラダにしよう。

湯を沸かしてカリフラワーを茹でる。その間にじゃがいもの皮を剥く。芽が出かけているので注意。そして茹でる。マスタードとマヨネーズと酢と、ちょっとだけはちみつを入れる。賞味期限の切れた乾燥パセリを入れる。混ぜる。見た目はもう少し一体化するかな、と思っていたけれど、思ったより色相が違ったから、ホワイトコーデ失敗例みたいな色合いになった。でも、食べてみるとあら不思議、じゃがいもだと思ったものがカリフラワーだったりその逆だったりがあったので、目標は達成。

 

31.-----

半分残っていたうすあげを切ってごま油で炒める。ネギも切って隣で炒めてみる。目を離したすきにちょっと焦がす。一緒にする。マヨネーズをいれる。あらかじめ賞味期限を切らしておいた胡麻を入れる。混ぜる。意外にうまいって思う。出来立てはうすあげがカリッとしていて食感がいいし、時間が経つとしんなりして、それはそれでおいしい。うすあげをクルトンみたいな感じと思えば。

個人的なこだわりとして、料理にめんつゆとかドレッシングとかをあまり使わないのだけど(全部その味に持っていかれる感じがするから)、あえてドーピングするなら、ごまドレッシング入れたらいいと思う。あとは生の青ネギを入れると食感的にも見た目的にも良い。あるいは、七味で大人風。

そういえば、辛いと”大人”って誰が決めたんやろう。あと、苦いとか。"大人な味"という表現の曖昧さよ。それがわかるのがえらい風だから、って気がするけど、それはつまり、我々は大人な味そのものを学んだというよりも、大人な味だと表現する振る舞いを学んできたのではないか。例えば食べたものが、まずいと思ってもそのまま言う自信がないから、大人な味という言葉でごまかすのではないか。なんだよ、もっと素直に生きなよ。大人という幻想を演じすぎだ。

話がそれたけれど、味を濃くしたらおつまみにもなりそうな味。大人の話に戻すなら、お酒は大人だけの味か。いろんな味がする。

 

1.-----

今日はポテトサラダはお休み。決して飽きたとかではないけど、毎日は飽きるよね。休みといいつつ、弁当に入れたから今日も食べてるけどね。そりゃ飽きるよね。毎日やってたらなんでも飽きる。でもたまに飽きないものがある。それこそが、私がやるべきものなのかなと思う。飽きないものイズ人生。

何かを作ることにはまっている時は、スーパーで食材を見ているだけでたのしい。宝探しになる。このときのマイルールはネットで調べないこと。ネットは簡単に誰かの答えのようなものにたどり着いてしまうけど、それを見て満足することが私にはないから。参考にすることはあるけど、おもしろくないから。ただ、たまに食べ合わせは気になって調べることはある。せっかく作って毒になるのは嫌。そういうところに小心者がでるなあと思う。

 

2.-----

復活ポテトサラダ。今日はちくわを入れてみたい。ちくわに合うものがわからないから、なんとなく色を欲してオクラをいれる。マヨネーズはなんとなく少なめにする。混ぜる。あー、ねばねば要素いらんかったかも、と後悔する。なんか食感が良くなさそう。と、思ったのも束の間。よく混ぜたら、じゃがいもが里芋になった!なんということだ!!全体がもったりするので、さわやかにしたくて、柚子胡椒をいれる。これはいける!ということで、今回も成功である。そろそろ失敗しよう。というか、手を出してない方向に行こう。

 

3.-----

今日は指に小さな切り傷を作ってしまった上に、あかぎれがピキッといったので、料理をあまりしたくない。だってあれだよ、切り傷から食中毒が起きたりするんだよ。毒は嫌だよ。というわけで、ポテトサラダブームのきっかけの話をしよう。

なぜ、突然ポテトサラダを作り始めたかというと、友部正人さんの影響である。友部さんが「ポテトサラダを食べに来ませんか」と歌っていた。その時から私の中でポテトサラダ再評価の波がきた。

友部さんのライブは、言葉の世界と音楽の世界と現実世界とここではないどこかが一緒になって、目の前にあるようなないような、言葉で表せないくらいにとても素敵な時間だった。そんなライブのセットリストの中で、ひときわ日常に近いと感じた作品が、ポテトサラダを食べにきませんか、という歌だった。友部さんはポテトサラダが好きで毎日のように食べているらしい。ずっと歌の世界に引き込まれ、友部さんもなんだか遠い人みたいな印象を受けていたのが、突然、かわいい近所のおじさんのように見えた。もしかしたらずっと、遠いようで近くのことを歌っていたのかもしれない。朗らかで優しくてポテトサラダが食べたくなる歌だった。

今度、磔磔で、友部さんの手作りポテトサラダ付きライブを開催するらしい。めちゃくちゃ興味ある。とても行きたい。が、行けなさそうで拗ねている。今職場の繁忙期で、定時もカレンダーの赤色もほとんどない。せっかくの祝日開催なのに。と、拗ねているのにも飽きたので、せめてもの抵抗で(?)自分でポテトサラダを作ろうブームが始まったということ、、、なのか?今、書いていて理由になっていないことに気付いた。何をしてるんだ俺は。ポテトサラダ布教ソングではなかったと思うんだけれど、どうしてこうなったのだろう。
とりあえず、今はポテトサラダの可能性を感じていて楽しい。意外となんでも合うのではないか、という希望と芋の懐の深さを信じている。きっと明日もポテトサラダを作る。

 

4.-----

やっていない方向といえば、おかし方面である。お菓子売り場でピンときたのは、芋けんぴ。だってほら、ハトコぐらいの関係性じゃない?合うでしょ。

じゃがいもと、さつまいもを洗って切って茹でる。やわらかくなればいい。どうしたらいいんだろうね、と思いながら、じゃがいもを潰してみる。さつまいもは形を残そうか。これは、全体をお菓子に寄せるべきなのか、おかずであるべきなのか。でも、お菓子ならスイートポテトになってしまうから、あくまでもポテトサラダか。味付けはマヨネーズなのか。ポテトサラダの定義、彼らのアイデンティティについて考えたことなかった。と思いつつ、とりあえず、マヨネーズを入れ、牛乳を少し足してなめらかにしてみる。あとは、お菓子にもおかずにも使うジンジャーパウダーに仲介を任せることにする。芋けんぴは適当に割って入れて、添える。完成、か。

味は悪くない。食べる時に胡椒を足してみたがそれも悪くない。が、これはポテトサラダである必然性がない。しかも、親子丼とか他人丼みたいに、勝手に関係ないもの同士に他人だとか親子だとか仲良くしろだとかを押し付けるみたいな人間中心主義的な傲慢な考えが垣間見えて良くないかもしれない。ただ、中辛のカレーの付け合わせとしては、良い箸休めとなってくれた。スプーンで食べたけど。細かいことはいいか。あ、そうか、ポテトサラダは、そもそもメインの存在じゃないのか。そうなのか。それでいいのか、ポテトサラダよ。ポテトサラダ研究は続く。

f:id:k2-tkbs:20230205003830j:image