市場へ行こう

 

8月に祖母が入院した。

手が痺れるとかで運ばれたところ、ばっちり脳梗塞だったらしい。

比較的軽い方だったのは不幸中の幸いだった。わりとすぐに意識は回復して、緊急病棟から普通病棟、そしてリハビリ病院に転院とスムーズに回復の経路をたどっている。

 

入院してすぐお見舞いに行った時は、さすがに弱っていて、私の知っている祖母とはかけ離れた完全に病人の姿になっていた。正直、覚悟した。

でも、毎週会いに行くたびに、起きている時間も増えて、少しずつ顔色が良くなり、目に見えて回復を感じた。最新の医療に感謝。お医者さんも感心するほどの驚異的な回復力に脱帽。

今は、右半身の麻痺が残るものの、一応退院して自宅療養でも大丈夫らしい。ただ、言葉が完全に戻っていなくて、ずっともどかしそうにしている。

 

本当に人間の身体は不思議で、よくできているというか、少しエラーが起きると大変なんだなあと思う。逆に、普段はものすごいバランスで生きていると思うと感心する。

今の祖母は、誰かが喋る言葉はほぼ完全に理解してくれているようなのだけど、本人が喋るとなると別みたいで、どうやら、喋りたい内容はあるのにそれを声で発音するのが難しいようだ。

脳の、言葉を理解する部分、言葉を発する命令を出す部分、感じたことを言葉にする部分はどれも違って、普段は全部うまい具合いにつながりあっているらしい。

声にならないだけで、書くことはできるのかなと紙とペンを渡したら、見たことない宇宙文字を書いた。これは、まあまあショックだったけれど、本人がいちばんショックだったと思う。

仕方がないので、祖母が喋ろうとしてくれる少しの音から、言いそうなことを必死で探り探り、いろんなパターンで言葉を誘ってみたら、少しでも会話ができる瞬間があった。そんな時間が、会う度にほんの少し増えてきたから、正直私が助けられた。一瞬でも、諦めやもうダメかもと思ってしまった自分を恥じた。生きることに前向きである姿、そして大げさかもしれないが人間の可能性に、私が勇気付けられてしまった。

 

この前久しぶりに会いに行った。まだまだ言葉は完全ではないものの、病人の祖母ではなく、私の知っている祖母の姿に戻りつつあった。元気な祖母には、やはり病院の生活はつまらないらしく、「もう退屈!」と舌を出していた。退屈という言葉がスッと言える回復には安心したが、「ああ、もどかしい、(言葉が)出てこない」とまでは言えても、言いたいことが言えていない姿には、やっぱりこちらももどかしくなる。

私が「今日は休みだけど、これからちょっと出かける」と伝えると、

「行くんだったら、早く、市場へ、行ってらっしゃい」と言ってくれた。

私はどこへ行くとも言ってないけど、祖母にとっては「ショッピング」とか「イオンモール」とかよりも、「市場」という言葉の方が使いやすいのだろう。

市場、と聞いてちょっとニヤニヤしてしまった。「市場へ行ってくる」って、私人生で使ったことない言葉かもしれない。

 

ほなまた来るわーと病室を後にした。祖母の頭の中に浮かぶ市場はどんな市場なのかな。また話を聞いてみよう。