この感情に名前をつけるなら

6年が経ちました。

 

今回は暗い話を含みます。暗い話をして明るくなろうとしています。あなたのためには書いていません。うっかりクリックした方は気をつけてください。

 

 

 

 

今だにこの時期になると、6年前の気持ちを思い出したり、当時の自分への怒りで、どうにもやりきれなくなることがあります。

同年代の母娘が楽しそうに買い物をしているのを見ると、ものすごく羨ましいです。

なぜもっと一緒の時間を大切にできなかったのだろう、なぜもっと寄り添うことができなかったのか、なぜもっといろんな話をしなかったのだろうと、ことあるごとに頭をよぎります。

あんなことを言ってしまったとか、やってしまったとか、上げ出したらきりがありません。

 

冬のはじまりの慣れない寒さも手伝って、今年も少々やられてしまいました。そんな自分に嫌気がして、弱い自分にいらいらして、余裕がなくなって、人に八つ当たりしてしまったりして自己嫌悪。

 

だったのですが、最近知ったことがあります。

この精神状態には、「記念日反応」あるいは「命日反応」という名前がついているようです。名前の通り、誰かの命日に近付くにつれ当時の辛い記憶が思い出され、気分が沈んだり、体調をくずしたりすること。これは誰にでも起こりうるらしい。

たとえば、PTSD(心的外傷後ストレス障害)のように、ある時心にダメージを受けて、それが後の人生にも影響を与え続ける、ということはよくあること。診断を受けたわけではないけど、記念日反応もそれの軽いものかなあと私は勝手に納得しました。

 

人間って意外と単純で弱いと思うのです。自分ではどうにもならないところで、参っている。でも、それをどうにか隠したり忘れたりして、うまくやっている。ときにうまくやれないけど、名前をつければ病名になって、納得ができる。必要なら治療ができる。それもなんとかやり過ごす方法。

どうやら、どうにもならないことをどうにかやっていく、というのが生きるということなんだと思います。

 

私はいろんな人のおかげで、どうにかなってきたのですが、今思うのは、冷静に寂しく思えている私はとても恵まれているのではないか、ということです。

幸せは比較ではないし、誰かに比べてマシかどうかなんてのは無意味なので言うつもりはありませんが、

大事な人と、幼い頃に会えなくなった、理不尽に会えなくなった、もはや会ったこともない、生きているのに会えない、憎んでいるのにどうしようもない、なんて人はたくさんいます。それでも、皆、それぞれに無理矢理折り合いをつけたり、つけられなかったりしながらどうにか生きています。

そう思えば、私の気持ちには折り合いがつく。

人は生きてるだけで死ぬ。それだけのことでした。

 

母の同僚が後に教えてくれた言葉を今でも思い出します。

「子育ては、たくさん心配したし苦労もしたけど、今はもうなにも心配ない。私はやりきった。」なくなる3日前の言葉。彼女に死ぬ気は無かったから、書き残した遺言はないけれど、言うなればこれがそうだと思います。

要は「まあここまでやったったし、まだ甘える気か?あとは知らん、元気でやれよ。」でしょうか。そんなキャラちゃうけど。

私は今でもこれで体勢を立て直すことができます。そこまで言った母の半生が間違いではなかったと証明するためにも、道を誤ることはできないなあといつも思うのです。

 

不思議なもので命日の夜、夢に母がでてきました。不思議というか、きっとマザコンがすぎるのでしょう。

‪一緒にご飯を食べていて、幸せな気持ちに包まれている食卓。でも、ふと、なんだかおかしいぞと夢の中で夢だと気付いてしまう。そうか。せめて許してと、ぎゅっと抱きしめたら、現実に戻るという夢でした。

もちろん寝起きは最悪ですし、しばらく引きずりました。

ただの記念日反応と思えば少しは自分を許せるけれど、なんだかそれも淡白すぎるでしょう。人間はロボットじゃない。好きとか嫌いとか愛してるとかそうでないとか、嬉しい悲しい、会いたい会いたくない、正直わからないです。

でも、説明できないくらいのほうが、人生はおもしろくて、答えがないほうが、どうにでもなる。

 

最近、今まで感じたことのない感情に出会っていくのはとても楽しいと思えるようになりました。大人になればなるほど、知ってることが増えて感動できなくなるとか、素直じゃなくなるとかよく聞くけれど、そんなことはないと思います。そういう人は自分の知ってる世界の中で安心していたいだけ。世界は広いし、人生は短い。狭いのは自分の視野だけ。これは自分に言っています。

 

唯一できる親孝行は楽しく生きること。

これしかできないけど、これはわりと得意だと思います。

私はずっとずっと楽しい日々を送りたい。もし一緒に楽しい時間を過ごしてくれる人がいるなら、喜んで仲間になりたい。いつか、どんな形であれ、楽しい仲間が集まれる楽しい場所を作る。それが私の夢です。