とある日-1

とある日の日記。

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ほったらかしていた玉ねぎからねぎが生えていた。これは、ねぎとして食べていいのか。玉ねぎとして食べるのか。ねぎと玉ねぎの境目がわからない。

 

この前、イベントのブースで似顔絵を描いてもらった。絵を描いてもらうこと自体初めてで、すごくいい体験だったのだけど、印象深かったことがもうひとつ。

作家さんと一対一でお話をしていたところ、ふらりと少女が遊びにきた。どうやらファンらしいが、挨拶しても帰って行かない。おもむろに私の隣に座り、自分で絵を描きだした。ただただ描いて、何かを描いたのか説明してくれて、そのうち満足して帰っていった。

自由だなと思った。

だから私も描いてみたくなった。絵日記。

絵の描き方って、いまいち習っていなくとも、子どもってすぐ描こうとするよね、と思いながら色鉛筆をさわってみる。ようわからんけど色って楽しい。できるか、上手か、より「やりたいか」のとき、いまいち格好は気にしなくなって、下手でもいいと思える。

何事も、失敗をしないことが前提だと思っちゃうと、心が萎縮してしまう。これは生存本能でもあるらしいけど、そればっかりもつまらないなと思う。


今日は、駅へ向かう途中、歌いながら走ってくる少年がいた。歌も習ってないのにうたえるし、逆に習ってしまうと歌いにくいこともあるな、などと思う。彼は楽しそうだった。

でもふと、きっと彼が大人になったら歌わないかもしれないと思った。今の世の中だと変人扱いされてしまうかもしれないと。こんなに自然なことなのに。

その境目はどこにあるのだろう。場をわきまえろってのはわかるが、なにかを取りこぼしている気もする。わきまえすぎも良くない。

一体なにに、とらわれにいっているんだろうね。

 

そんな話があったなあと思い出して、大友良英「学校で教えてくれない音楽」再読。
学校で習う音楽って息苦しいよねという話から始まる。音楽というものの捉え直し。8年前に参加した大友さんのワークショップは、目から鱗落ちまくり体験だった。やっぱり私は、音楽のことを考えるのも楽しいんだと思う。