7月最後の土日は、フジロックの配信を観ていた。
タイムテーブルにしがみつくでもなく、クーラーのついた部屋でだらりと、昼寝とザッピングの繰り返し。たまに夢みたいなものをみた。
30日は、折坂悠太(重奏)の演奏がとてもよかった。
この人は、なんてところにいるんだろう、と思った。どこから世界をみているんだろう、と。
正しさ、わからなさ、寂しさ、強さ、今、過去、未来みたいなものが渾然一体となっている歌。ある状況を、どこかから俯瞰的に嘆くでもなく、直接的に描くでもない。祈り。
昨年彼は出演を直前に辞退していて、今でもその時の文章と誠実さを思い出す。今回のMCでは「昨年と今年で何が違うのかといえば答えられない」「試行錯誤していくしかない」「自分の営みを続けていく」と葛藤と覚悟を話していた。
多くの人がみてみぬふりをしたものを見つめていたとしたら、それは、誰よりも今に立っている人なのかもしれないと思った。
31日は、前日よりもたくさん試聴した。初めて見たバンドたちがとてもよかった。そういえば本当に自分は狭い範囲の音楽しか知らないよなあ、ともう数えきれないくらい回目かの感想を持った。
そして、大好きな中村佳穂のライブでとても心洗われた。
この人は、どっからきたんだ、と思った。羽とツノが生えてた。
彼女は、歌になる前の何かから歌になって歌った後の何かまで全部まかせて!というステージをしているように見える。とても眩しい。
編成はドラムとベースにコーラス4人。人が、歌を歌として、歌以上に歌っているということに勇気をもらった。
彼女の歌のすばらしさを、どう表現すればよいのだろう。音楽そのもののよう。歌が生きてるみたい。なんだけど、歌じゃなくて人間が生きてるから歌うんだと思うから、もうわけがわからなくなる。
登場してピアノを鳴らし、歌い出した一声目。
「人がなぜ集まるのか。なぜ僕たちは歌を聴くとしあわせになるのか。を!解明しにまいりました!みなさん力を貸してください中村佳穂です!」
言葉にならずとも、人はその答えを知ってるんだと思った。
ずっとライブ配信というものに対する自分の違和感を拭えぬままでいた、この2年。
慣れたわけでもないけれど、楽しみ方もわかってきたように思う。この話はまた、冷静になれたら書くつもり。
自分の心を、人の言葉の引用だけでまかないたくない気持ちがずっとある。うまくいえないことばかりだけど、あきらめたくない。
暑いしなんやかんやだし心がざわついてばかりだけど、どうかみんな、むりせず。アイスお食べ。お腹冷やさん程度にね。