花見はいかが

 

この前の休みに、ふと、桜でも見せてやるか、と思って祖母に会いに行ってきた。ちょうど、もらって欲しいものがあるからと連絡があったので、ちょいと車を走らせる。

「昔は重いもんも持てたし、なんでもできたけど、やっぱり無理すると体が痛いのよ」という話から始まる。弱音はほぼ聞いたことなかったけど、年々ちょっとずつ弱音も言ってくれるようになってきた。そもそもめちゃくちゃ強い人で病気知らず、入院も一度もしたことない。「でも、1日寝たら治るから、ゆっくりしてるのよー。」と話す。いやいや、1日寝て元気になるなら、それは元気というのだよと教えてあげた。なんせ、86歳だから。

 

とりあえず、コーヒーでも。と入れてくれる。入れてくれるというより、いらないと言っても出てくる。私は小さい頃潔癖だったので、よくわからないスポンジで洗って、よくわからないタオルで拭いた食器がほんとに気持ちが悪かった。でも、それくらいでお腹を壊すほど私は弱くないとわかったので、細かいことは見ないふりをしている。これは私の成長。

出してくれたクッキーが意外と美味しかった。いつも祖母は、欲しいとも言っていないのに袋をたくさん先に空けるから、食べるしかなくなって困ることがある。この日もたくさん空けていたけど、喜んで食べることにした。

「私今日休みやから車必要ならどっか行くよー、買い物とか桜とかお昼とか?」と聞いてみると、じゃああの店でお昼にしようと、珍しく急に意見を言ってきた。これはだいぶ行きたいな、と思ってご飯を食べに行くことにした。

 

いつも外食したときは、祖母のチョイスに驚かされるのだけど、この日もやってくれた。「わたしねえ、これが好きでね。」と指差したのが、天丼。見間違いじゃないかと「天丼でええの?」と確認するけど、よく考えたら目もそんなに悪くない。天ぷらが好きらしい。

私はマグロ丼に。それでも結構ボリューミーで、大きなかす汁も付いてきた。半分食べたところで、もうええ…と思っていたら、目の前に座る祖母は、スピードを落とすことなく食べ続けていた。

うう、これは負けるわけにはいかないと思って必死で食べた。さっきのクッキーを早速恨むことになる。祖母も同じくクッキーを食べていたので、さすがに残すだろうと思っていたが結果9割5分食べた。「胃もたれたりせえへんの?」と聞くと「好きやからねえ」と返ってくる。笑ってる。強い。

 

桜とかええんかなーと思って、車で桜を横切る度に「ここの桜きれいやな!」と話を振ってみたが、そんなに響かず。笑 それよりも、天丼が食べられて良かったらしく、ずっと、美味しかった、嬉しかった、あんたのおかげやと大げさなことを言ってくる。祖母は、天丼が食べたかったみたいだ。花より団子すぎるが、桜を見せたいと思ったのは自分のエゴであったことに気付かされた。

喜んでくれたならそれで良い。

 

祖母とは、そんなに気が合うわけでもない。おばあちゃん子というわけでもない。とにかくモノをあげたがるし、とにかく食べさせたがる。お小遣いもあげたがる。

私は、はっきりいってどれもいらない。

だいたい不要になったモノだし、ごはんは出されてもそんなに食べられない。お小遣いはまあもらえたら嬉しくないことはないけど、年寄りにたかってるみたいで嫌だ。一度もくれと言ったことないのに、押し付けてくる。

でも、最近、なんとなく気持ちがわかるとまでは言わないが、こういう人なんだ、と思えるようになった。押し付けとはいえ、それがきっと祖母なりの愛情であり、楽しみであるらしい。考え方のズレはたくさんある。文化の違いもめちゃくちゃある。でも、それは仕方のないことだろう。

私も大人になってきたので、そういう違いを楽しめるようになった。違いがあるということは、ツッコミどころに気付けるのだ。つまり、おもしろい。

 

私の将来の夢に、かわいいおばあちゃんになること、というのがある。これはかなり難しい。おばあちゃんになるには長生きしないといけない。それに、かわいいおばあちゃんというのは、怒りじわじゃなくて笑いじわがたくさんある。

祖母は、それを体現しているような気がして、うらやましい。よく食べて、よく笑って、日々に楽しみを見つけて、のんびり暮らしている。わりと勝手な人ではある。でも、あの年になればそれも愛嬌なのだろう。

 

今日は天丼を食べてみたが、胃がもたれた。かわいいおばあちゃんへの道のりは長い。