日を記念する

「〇〇の日」が苦手だった。
日を記念すること自体の意味も価値もわかる。
でも、何でもかんでも、言ったもん勝ちのように記念日を決めて、決められたかのように盛り上がる空気が苦手だった。
あまりにひねくれていたと思う。

だけど、ある日気が変わった。楽しそうなら楽しめばいいし、これは使えるかもしれないと思った。ひねくれた自分が、もう少し素直になれるチャンスとして。

 

記念日やイベントごとを、受け入れたり楽しんだりできるようになったのは、雑貨屋さんで働いてからだと思う。

イベントのあるギフトシーズンはもちろん、それ以外でも、贈り物を求めて毎日人はやってくる。人はこんなにも贈り物をするものなのか、とカルチャーショックをうけるほどだった。

忙しすぎて感情を無にするしかなかったこともあるけれど、だんだんとても楽しく、そして羨ましくなってきた。贈りたい誰かがいて、伝えたい思いがあって、行動に移せること。とても素敵じゃないか。

私も、伝えてみようかなと思った。そして、私はひねくれてる間にそのチャンスを失っていたのかもしれないと気付いた。

 

どんな思いを伝えるにしても、その人のタイミングがあるのかもしれない。でも、機会なんてなかなかないし、作るのも難しいなら、イベントや記念日に乗っかるのもありだと思う。恥ずかしいことじゃないし、伝えられないまま後悔するよりずっといい。

例えばその日が世間でいうクリスマスだったとしても、ある人にとってはまた違う記念日になるかもしれない。と思うと、すごくロマンチックじゃないか。

そんなことを考え出して、ひとりでわくわくした。誰かの気持ちを信じたくなった。勝手ながら、見知らぬ誰かの幸せを原動力にした。

 

もちろん、私はなんでも乗っかればいいとも思っていない。空気に流される、になると、やっぱりつまらない。自分の意思が薄らいでくると、なんのためにやっているのかわからなくなる。逆に、意思を強く持ちすぎて義務に思ってしまうのもちがう。誰かに強要されるものでもない。

ただ、私自身、もっと素直になればよかったと思ったことがあって、今こう思うというだけ。

 

うまくいかないこともある。伝えられる側の心持ちというものもある。伝える側は、どう頑張っても自己満足からは逃れられない。でも、その前とその先にあるものは、何か。

考えてみたら、結構シンプルかもしれないと思った。