2022年マイブームまとめ

2022年に私の心と体を動かした物事についてまとめた。

10のマイブーム。

  1. スーパー銭湯ブーム
  2. 回文ブーム
  3. パフェブーム
  4. 短歌ブーム
  5. 筋トレブーム
  6. Webデザインブーム
  7. 味噌汁ブーム
  8. 壁ブーム
  9. 朝焼け/朝ブーム
  10. 伝え方ブーム
  11. まとめ

 

1.スーパー銭湯ブーム

旅先で入る温泉ほど気持ちの良いものはない。けれど、しばらく自分をとりまく状況が理由で旅行に行けなかった頃、近場に目を向けてスーパー銭湯に行ってみた。するとすっかりハマってしまった。以来、広い風呂のブームは続いている。ぼーっとできるし、お風呂上がりはぼーっとせざるを得ない。何にも考えないけど、何かが頭に浮かぶ。でも、すぐ忘れる。その時間が私には必要だったようだ。いらぬことを考えすぎたり、いらぬことでとげとげしたりしているとどうしても疲れてしまうから、リセットできる時間と場所を見つけられてよかった。

誰に見られているわけじゃないけど、公共の施設だと家で裸になるのとは違った緊張感が少しだけあるのも事実。だから、変わったり変わらなかったりする自分の身体をなんとなく意識する瞬間でもある。でも、なんというか、ただのヒトだな、と思う。湯を前に、なにも抗えるものなどない。いろんな年代のお客さんがいて、自分もいて、ああ、いろんな時を経てヒトは生を全うしていくのだなあなんて思う。まあ、それも全部出る頃には忘れるのだけれど。

 

 

2.回文ブーム

一見うまくいかなさそうなものを、うまくいってる風に持っていったり、どうやってもうまくいかないものにヤキモキしたりゆるしたりして遊ぶ趣味。

きっかけはひょんなこと。誰かのハンドルネームが「世の中ね顔かお金かなのよ」さんだったこと。なんちゅう名前やねんと思ったのも束の間、回文であることに気付いた時の衝撃が忘れられず虜になった。この回文はおそらく回文界隈では、ポピュラーな回文だという気がしているが、私にとっては感動ものだった。回文ほどのいわば地味な発見のもたらす快感は、中毒性が高い。

世の中顔かお金かなのかどうかはわからないけれど、世の中うまくいかないことの方が多い。そんな世の中を映し出すかのように、回文は簡単にはうまく作ることができない。だが、時にものすごい奇跡のような回文がある。こんなところに隠れたていたのかと思う。それはもしかすると、回文なりの静かな抵抗なのではないかと最近感じている。

短いものだと、意外と作れる。けれど、意外とできない。なんだこの匙加減、ツンデレかって思う。言葉を逆からよんでみる。違う見方をしてみる。まさかと思いながらも、ひっくり返してみる。その作業のなんともいえない無駄さにハマる。いっとき取り憑かれたように回文を探していた。自作お気に入り5。引き続き挑戦していきたい。

  • 鳥と人ひとりと

  • 粥吹き寄せよき冬か

  • 我がの間、蟻がラムネ群がり、天の川

  • 借りたふるさと去る二人か

  • 道半ばかなちみ

 

3.パフェブーム

パフェという存在に憧れる。街を散策中にふらっと入った喫茶店でパフェにときめいてから、しばらくブームになった。パフェと言ってもさまざまで、自家製アイスに地元産の果物でこだわりの一品もあれば、さあ映えですよ!みたいな流行りの雰囲気のものもあるし、市販のアイスに缶詰の果物を乗せた感じでもフルーツパフェです、という顔をしているし、なんとも存在が堂々としているのがいい。

どんなパフェもパフェであるし、パフェにしちゃえば大体美味しい。そんな中、私が一番感動したのは、奈良の七福食堂のパフェ。正式名称は季節のパルフェ。佇まいが上品。全ての層に理由と意味とそのバランスが考えられていて、芸術作品の域であると思った。

 

 

4.短歌ブーム

とてもにわかなことを言ってしまう。決まりの中で遊ぶこと、って楽しいものだなと気付いた。すごく普通のこと、あらゆるものごとにはルールがあって、それを取っ払うこともある。私はどちらかというと後者に憧れていた部分もあるけれど、いまは、形がある中で遊ぶということに無限の可能性を感じている。31音で伝えられることは、31音の内容じゃない。当たり前。でも、それにとてつもなく感動した瞬間があった。俳句や川柳なんて、17音。もっと短い詩だってあるし、そもそも、言葉1つをとってもそうであるが、作品と作品じゃないものの違い、情景や心象が伝わる仕掛けや心に意味以上のものが残る何か、にとても興味を持っている。
私は短歌や言葉より、音楽に触れてきた時間の方が多いが、ふと、4分の曲を聴いている時だって、その4分の音を味わっているだけじゃないと思うことが多々あって、平易な言葉で言えば感動かもしれないが、それに取り憑かれている。言葉や短歌には、実際に聴こえる音はないけど、確かに音が聴こえる作品もある。作品の力、人間の想像力に感動しまくっていて、ブームが始まったところ。

図書館や本屋さんでパラパラ見たりした程度だが、ナナロク社から出ている歌集が良かった。岡野大嗣さん、木下龍也さん、岡本真帆さんの歌。良いというか、しっくりくるというか、食べてみたいと思えて、食べて味がおいしいと思う、みたいな感じ。

来年もブームが続いていたら、古典から勉強しようと思う。多分、作る方も楽しい。もっと楽しい。

 

 

5.筋トレブーム

腹を割りたい。その一心で、しばらく筋トレのまねごとを続けていた。難しいことはできないので、腹筋メニューとリングフィットアドベンチャー(よくできたゲーム)。たまにプロテイン。運動に疎い私でも、毎日やればできるようになることが増えて嬉しかった。身体を動かすのは楽しいし自分のためになっていると思えた。けれど。にわかブームから習慣になったくらいのところでコロナになって中断、復活してやり始めたところで、生活が変わって中断。今は元気な時にやっとくか!と思うくらい。飽きたというか、他のことを優先している。そんなわけで、今年、腹が割れることはなかった。それに、別に腹が割れてなくても健康ならいいやと思った。そういえば、筋肉って、一度鍛えると筋トレしていた時のことを覚えているそう。だからまたやれば戻るらしい。なるほど。私のことずっと忘れないでいてくれよな。

 

 

6.Webデザインブーム

3ヶ月間、職業訓練に通ってWebデザインの基礎を教えてもらった。ほんのさわりとはいえ、知識があると楽しいことが増える。プログラミング言語なんてずっと暗号だと思っていたから、実はこうなってましたー!とか、これをこう入力するとこうなる!みたいな発見がおもしろくてわくわくした。3ヶ月まじめに通ってまじめに遊んだ。でも遊んでなかったですという言い訳みたいな資格もとった嘘つき。その後牛より遅いペースでHPとLINEスタンプ製作。を、していたがほぼ頓挫。私はどちらかというとアナログが好きみたいだ。手段としての可能性はとても感じるので、新たな遊び方を見つけたらまたやると思う。

 

 

7.味噌汁ブーム

しばらく仕事のペースを掴めず食生活が乱れてきた頃、せめて朝ごはんだけはちゃんとしよう、と決めて始まったブーム。主食と味噌汁。1ヶ月毎日続けたが、ある日前日のシチューを朝食にしたことで、連続記録が途絶え、そのままフェードアウトしてしまった。けれど、その期間を経て、弁当を作る習慣と生活のバランスを見つけられたのでいいブームだった。

味噌汁、というのは、土井善晴氏の影響である。土井先生はお味噌汁とパンを食べたり、ウインナー突っ込んだり、かなり楽しんでいる。和食の料理人であるけれど、ガチガチの和食を広めることより、家庭料理を民藝と重ねて改めてその考え方広めようとしている人。そして、”お料理を作るのがたいへんだと感じている人に読んで欲しい”というまえがきのある、著書「一汁一菜でよいという提案」がいい。料理本というより思想本だが、一汁一菜でよい、というくらいの考え方を持っておくと気が楽だなと思って、本棚に置いている。

 

 

8.壁ブーム

散歩していたら突然壁に惹かれて、しばらく壁の写真を撮っていた。タイルの壁、土の壁、コンクリートの壁、見えない壁。
人に”君は壁をつくるよね”といわれたことが今更気になっているのかもしれない。自分が何かにつまずいた時に感じるのも、山でも谷でもなく、壁。どこまでが壁でどこまでが崩れてて、どこまでが幻で、そこの境目ってどこにあるのかとか、壁をとっぱらうものって、なんだろうとか。写真を撮るブームは去ったが、気持ち的にはほんのり続いているブーム。壁と、輪郭。

 

 

9.朝焼けブーム

朝、散歩をする。気持ちがいい。心がもつ。朝焼けの景色を思い出して一日がんばれる。朝の散歩をする時間で自分を保っていた時期があった。

ウォーキングしている人とか、犬連れてる人とか、カメラ持ってる人とか、そういう人に話しかけにいく人とか。普段全く交わらないであろう人と人の時間がちょっとだけ同じになる感じ。それが素敵だなと思った。知らない人と朝のあいさつをするのも好き。いつも同じ時間に写真撮りにきている人もいて、カメラの趣味も憧れる。

陽が昇るのが遅くなり始めて、冬になってからは散歩には出ていない。が、時間があるときは、朝焼けを眺める。朝の始まり方が本当に毎日違うことにハマっている。ピカッと光が届く時もあれば、じんわりの時もあるし、刻々と変わっていく空の色が濃かったり薄かったり。ということで、軽度の朝マニア。これは多分一生できる趣味。

 

 

10.伝え方ブーム

「伝える」という行為に根本的な興味を持っている。今に始まったことではないが、今年は、コロナになった時にうまく言葉が出なくなったこと、そして、就職活動中のあれこれがきっかけでブームが再燃した。どうしたら人に伝わるのか、自分が何を伝えたいのか、伝えようとしていることと伝わることの差異、というか、本当にそれを伝えたいのか?伝えてどうする?伝えるつもりはないのに伝わってしまう!という、あまたのモヤモヤ。これはおそらく生涯のテーマであると思っているので、答えは出ていない。

で、そこから派生してハマっていたのが、生活の中で見かける”伝えたい”の熱意に溢れた文字列。貼り紙とかパッケージとか看板とか。代表的な例がレターパックの「レターパックで現金を送れはすべて詐欺です」。あれ3箇所に書いてある。書かざるを得ない世相は笑えないが、必死さが本気。

文字列の必死さで言えばトイレの個室の中。他人が全く介入できない場所において、何かを伝えるには貼り紙しかない。「スイッチを強く押さないで!」とか、「鍵をしっかり閉めてください!!」とか。同じ文言が何箇所にも書かれていたり、「スイッチはここ」の矢印が何個もあったりツッコミどころ満載。で、大体手書き。手書きの熱意たるや。そして、その必死さを無視すると大事になるという自分の緊張感。生きるのは大変である。

 

まとめ

今年書いたことはブームとしてもう去っていくのか、あるいは私の一部になるのか。

私は俗にいう熱し易く冷め易いタイプかもしれない。興味のあることはかじるけど、しばらくして飽きてやめるみたいなことを続けてきた。それが嫌で恥ずかしいとも思っていたけど、別に悪くないかと開き直ることにした。興味があるならやればいいし、やめたいならやめたらいいし、そもそも、やりたいことはずっとやっている。

頭で考えてやろうとしたブームはすぐに去る。自然とやり始めたことはやめてない。考えても考えなくても何年もずっとやっていることは、どんな形でも私がやるべきことなのでは、とほんのり思っている。そして、いつか全部つながる予感がしている。

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特別お題 わたしの2022年・2023年にやりたいこと